« 「DIVと私」 第8話 | トップページ | オープンでーす。 »

「DIVと私」 第9話

伊豆・赤沢に向かう車の中、これまでのDIVと工藤さんのストーリーをインタビューしました。1973年ごろに初めて作ったロシア製一眼レフカメラのハウジングのこと。これまで作ったハウジングの苦労話。いずれも日本のスキューバダイビングの歴史と平行して長く、そして深く関わってこられた工藤さんならではの、興味深い話ばかり。当初、抱いていたとっつきにくい印象と違い、とても気さくにそして以外にも饒舌に話してくださる工藤さんに、驚きそして楽しい時間となりました。3時間弱のドライブ中、ほとんどずっとお話いただいた中で、何よりもおどろいたのは、これまで製作し販売してこられたハウジングの数でした。「3000個以上だよ」と事もなげに言われ、「えっ??3000個ですか!!」と聞き返してしまった。それまで量産型のベストセラーとして売ってきた「トリエステ」というハウジングが3年強の期間で600台。手作りハウジングのボリュームはもっともっと少ないものと思っていて、数人がかりの当時でも年間せいぜい100-150台で、それ以前はもっと少ないだろうから20年で、せいぜい数百台~1000台前後と思っていた。(ちなみに、同取材でお伺いしたJUNONの小野沢さんは月に3-5台でそれまでの創業以来10年ほどで通算50-70台くらいとのことでした)ところが、当時のDIVの生産量は年間で300~400台強。それでも、連日電話や来店されるお客様のニーズに応えきれず、2-3割はお断りせざるを得ないとのことだった。正直これには驚き、そして自分がいかにハウジング市場を知らずに「知っている気」になっていたかを思い知らされました。自分が過小評価していた、DIV,そして工藤さん自身のイメージは間違っていました。それだけ多くのニーズがこのDIV製アクリルハウジングにあることをまったく知らず、量産型のハウジングが断然メジャーだと信じていたのです。工藤さんの言う「適度に手を抜き、簡単に作るから安く、早く作れるんだよ。量産タイプみたいに、全部理詰めで正確に作ろうとすると、高くて、難しいものになっちゃう。みんながそれを求めてるわけじゃないから、うちみたいにいい加減に作るハウジングがあってもいいと思うんだよね」という気負いの無い、割り切った考え方に、今となっては素直にうなずくことができた。正直価値観はまったく異なるところにあるけれど、工藤さんの作る製品をそれだけ支持する方々がいらっしゃるということで、自分の物差しでは計れないニーズの多様さを実感したものでした。(つづく)

DIV HANDS 臨時店長 大村謙二

PS.いよいよ明日は DIV HANDSのオープンです。現在夜の12時ですが、まだまだ準備中。実際のところ、店舗部分を仮オープンし、パーティションの裏側の工房は週明け7月5日より工事スタートし、すべての工事、準備が終了するのは7月10日過ぎになりそうです。とりあえず、オープンいたしますが、少しずつDIV HANDSを発展させ、便利で使い勝手の良い水中撮影機材の工房&パーツショップとして多くの方々にご活用いただけるよう、スタッフ一同精進してまいりたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

|

« 「DIVと私」 第8話 | トップページ | オープンでーす。 »

DIVと私」カテゴリの記事